静岡出身。高校時代は野球一筋だったが、音楽に興味をもってからはそちらへ集中する。駒沢大学では羽田一郎と共にバンドを結成。EastWestコンテストに出場、ベスト・ヴォーカル賞を受賞。その勢いで松岡直也の曲「THE LATIN MAN」にヴォーカルで参加した。その後プロのアーティストとしてキティ・ミュージックと契約。デビューする前にも作家として、小泉今日子、鈴木雅之などに曲を提供していた。その中の一曲ラップを取り入れたファンキー・ポップス「Its BAD」が田原俊彦のシングルとして採用され大ヒット。業界内で注目されるようになる。1986年遂にソロ・アーティストとしてデビュー。精力的にライヴをこなす。じわじわと人気を高めて行く中、1988年に発表した『Such A Funky Thang!』がミリオン・セラーを記録。一躍スーパースターとして支持される。1989年に発売されたベスト盤『THE BADDEST』は200万枚を越え、久保田利伸の第1期を飾った。ポップス/R&Bの本場アメリカでの活動を目指し、ファンキー・ジャムという事務所を設立。ニューヨークを活動の拠点とする。1995年、アメリカでのデビューを果たす。また、日本での活動がおろそかになってきたタイミングで発表された人気ドラマ「ロングバケーション」の主題歌「LA・LA・LA LOVE THANG」が大ヒット。その後もマイ・ペースな活動を続けている。R&Bと言える楽曲により日本でポピュラリティーを獲得したのは久保田利伸が最初。有る意味、宇多田ヒカルの兄貴分である。